美味しいものを食べてこその人生なのです

まず本記事の方向性

みなさんアニメを見て泣いたことがあるでしょうか

私は最近けものフレンズをみてアホほど泣きました

成人後の涙の半数を持っていかれるぐらい泣きました

終盤で泣いた方はたくさんいると思いますが、私が最初に涙を流したのは7話の最後のシーン、ハカセお見送りの言葉でした

それが本記事のタイトルです

座右の銘にしたいほどですが、それほど響いてない人も結構いるようなので何とか魅力を伝えたいと思いまして、久しぶりにブログというツールを使ってみるのです

 

まずシンプルに言葉のチョイスが思わず唸るほどに巧妙なフレーズだと思うのですが

言語学的な観点から述べれるほど日本語のことよくわかっていない上に、出来たとしてもおそらくマニアック過ぎる展開になるであろうことが想像されるのでやりません

安心してください

現実世界とジャパリパーク観で揺れ動く自分の内面のお話として書いていきます

 

けものフレンズという作品の表現の特性

さて、けものフレンズという作品は表現手法としては色々と独特なところがあり、初見の際は猟奇的であるとさえ感じました。一話を冷静なアニメ鑑賞のテンションで乗り切れた猛者は少ないのではないでしょうか

しかし落ち着いて鑑賞すると各シーンが持つ情報量が絶妙なラインに設定されていることがすぐにわかり、これは新規的な技巧を用いて表現でありながらも非常に丁寧

トーリーの表現と、視聴者に求める自発性のバランスが不気味なほどにいい按配となっていることに驚かされ、次第に作品に魅せられていくようになりました

問いといっても作品のテーマは?これは何の伏線?どういう世界観?先の展開はどうなる?といった作品自体への考察をすることに加えて

人間とは?自分の生き方とは?などといった現実世界の大きすぎてかえって考えることのなかった問題も提起されてきます。なんせ動物全体が扱われているわけなので

 

製作陣にとって一つ一つの問いに対して明確な答えが設定されているのかどうかは私の知るところではありませんが、視聴者がこういった問いを内に生み続けていくことが出来るように意識して作っていたことは間違いないかと思います

 

いちいちそんなことを考えなくても作品世界の優しさに触れているだけで十分に楽しめるように作られているという側面があることも念のため記しておきます

 

一旦落ち着こうか

12話を通した表現の素晴らしさを全て語るとキリがないので

「美味しいものを食べてこその人生なのです」で涙を流すに至るまでの思考に絞ってまとめていきます

 

現実での対価を求める文化への疲れ

私は現実世界に関して疲れている人間でして、特に苦手な概念として「対価」というものが挙げられます

貨幣経済そのものへの言及は長くなりそうなので割愛しますが、何かをしてもらうと何かお返しをしないといけないという現代文化全体の根底にある、この人格を行為によって個として分断する発想がとても苦手なのです

困っている人がいれば助けたいという理由だけで助けたいですし、逆もまた然りでなのですが、そうやって世界が回ることはなく、見返りというものを前提として人と人とが距離を保ち駆け引きをするこの世界で純粋な気持ちだけを抱えて生きていくことはいかに難しいかというのに日々息苦しい思いをしています

 

ジャパリパークの住人の無償の行動原理

 

ジャパリパークの住人は、現実世界と照らし合わせると信じられないほどお人好しです

3話あたりまで見ることで彼女たちの行動原理に居心地の良さを感じるようになりました

かばんちゃんの正体を知るのを手伝うために優しく見守ってついてきてくれるサーバルちゃんはもちろん、他のフレンズたちも見返りを求めないというか見返りという考え自体がなく、面倒なことなどにとことん付き合ってくれます

2話の時点でカワウソとジャガーが何でこんな面倒なこと手伝ってくれるんだと違和感を覚えましたが、3話になる頃にはそれが当たり前の世界として受け入れられてきました

頼まれたから、困っている子の助けになりたいから、あるいはそんな考えすらないのではないか、という動機でフレンズたちが自由に相互作用を起こしていく

この世界いいなぁ・・としみじみ思い、見ているだけで癒されるようになりました

1話のカバの「ジャパリパークの掟は一人で生きること」という忠告の不穏さが少し頭の片隅に残っていて、微妙な引っかかりの感覚があったことも述べておきましょう(この不安の消失は最終回までに見事にグラデーションを描きますが割愛)

 

ジャパリパークに存在する対価の概念の気配

知恵者かばんが人類の英知を発揮していく展開の中、4話ではツチノコというおそらくそれ以上の知恵者と思われるUMAが登場します

かばんちゃんの英知はジャパリパークにおいて超越的なものではなく、自主的に文明が営まれていることが提示されるのは7話以降の後半になるのですが、この4話ではUMA、地下迷宮という幻想的なパーツを用いることでストーリーのメインを支配しきらずに部分的に強い知恵を登場させたのがとても上手いなと思うところであります

4話ではツチノコが遺跡のジャパリコインを見て興奮するというシーンがあります

そして明確に通貨という言葉を用いており、さらに「ジャパリマンのように・・」とジャパリマンが現在の通貨として機能しているという可能性をほのめかします

トーリーとして4話での最大の衝撃は、それまで薄々示されていた人類の絶滅の可能性を明言したところにありますが、人類なしでよろしくやっている優しい世界で通貨が存在するのか?というのは少し引っかかる材料でした

 

そして次の5話において、ビーバーが木材をハカセとのジャパリマン取引で手に入れたことをボソッとですが明言した上に、分業という概念がかばんちゃんによってもたらされます

不穏な4話の後に、何事もなかったかのような日常の5話とされていますが、個人的にもっとも不穏な空気を感じてしまったのはこの5話でした

交換取引が存在する上に、分業という、場合によっては相手に強制力を働かせてしまう制度が持ち込まれたということでフレンズたちが自由に生きている世界に現代的な人間社会がもたらされてしまうのではないかというのが嫌で仕方がありませんでした

しかもこの時点では話全体がまだ前半であり、話ごとのお約束のパターンは人格は持つけど低レベルな知恵しか持たないフレンズに対して明らかに人間であるかばんちゃんが人類の英知を授けて問題を解決していくというものであったことから、かばんちゃんがもたらすものは英知であり災いではないのかと、強く懸念してしまいました

 

最高の知恵者の登場と求められる対価

6話も色々ありますが、今回のテーマではないので一気に7話まで飛びます

ハカセかわいい

ハカセと助手の登場はジャパリパークで権力と高度な知恵を持つものの登場であり、かばんちゃんが知恵の象徴であったという側面がここから薄れていきます

そもそもかばんちゃんが人であることを理解するのに12話を使うものだと想像していた人間にとっては7話で図書館に到達した時点で色々脳内の世界観チェンジを迫られたことでしょう、なつかしい

 

ハカセはかばんちゃんが何の動物か教えてあげるので、代わりに料理をしろと命じます

これは完全に知恵者による対価を求める発想です

そして人であると教えた後に副賞としてPPPのライブチケットをもらいます

これはハカセと助手がライブ設営に協力した見返りとしてもらったものだと言います

人間社会的な営みがジャパリパークにおいては行われてしまうのではという嫌な予感どころか、もうすでに行われているということが明らかになったのです

でもハカセかわいいし言動からも社会性を感じるものはあまり出てこず、不快感を催すものではありませんでしたが

今まで感じていた不穏な気持ちは何だったのだろう、色々考えながら彼女たちの会話を眺めているうちに例のシーンにたどり着くわけです

 

美味しいものを食べてこその人生なのです

ハカセは見送りの時に、文字が読める子だから料理させてみたのであって、他のフレンズが来た時は何の動物か無償で教えてあげているとあっさり白状します

要するに何かしないと教えてあげないのではなく、ただ料理を食べてみたかったチャンスを使ってみただけということです

ここで見ている側の気持ちとしてひとつの転換点があった気がします

 

ハカセたちはヒトの近くにはよくセルリアンがいたと聞くので道中をつけること、セルリアンを見かけたらさっさと逃げることを教え

作中初めての笑顔で「美味しいものを食べてこその人生なのです」と助言するのです

この瞬間、何で自分はこんなに簡単なことを忘れて生きていたのだろうと、ハッと気づかされた感覚になりました

ハカセにとっては対価を求めることは、それを満たすことによって初めて相手の権利や人格を認める類のものではなく、ただ単にある手段の一つでしかない

相手や自分を縛ることで何かを律することが目的なのではなく、楽しく自由に生きることのためがハカセの行動原理なのです

つまらない遠慮の心に押し潰されもせず、純粋におしいものが食べたい、食べようと思える、そうやって生きていこうとすることができる

 

それは自分にとってだって当てはめられることじゃないのだろうか

世界がガチガチに固まっていて、根本的にぶっ壊さないとどうしようもないと思うほどに悲観していたけれど、別にそれほどの大それたことではない

確かに世界は醜いが、必要以上に勝手に自分の心を押しつぶしていたのではないのだろうか

そうだ、美味しいものを食べてこその人生なのだ

世界は自由なんだ

誰に何と言われようと苦しむ必要などないのだ

そう気付いた時、自分を苦しめていた心の中の自分の苦しそうな姿がふと頭の中をよぎり、次の瞬間に安堵の表情に変わりました

「ああつらかったんだね」そう思いながらひとりでボロボロ泣いていました

 

あとがき

つらつらと書いたので自分でも何を書いたのか覚えてないです

今回は対価を軸に書いてみましたが、対価の概念がない世界を描くのではなく対価が個を縛り付けない世界を描くことでより安心感を出してくれていますよね

とにかく所作の一つ取るだけでこれだけでこれほどに感じ入るものがある作品でした

最終回まで繰り返し見ることで世界に今まで自分が知らなかった光が見えたりもしました

良い作品です(こなみ)